アキトの履歴書 42‐2

2013.5.24

 
また、当時は自動の“線出し台”がない時代だったので、女性が一人、それこそ1日中機械相手につきっきりで、
 
ばねを巻いたものだった。その機械の運転中にトラブルが発生した場合は、私が急ぎ飛んで行って不具合を直して、
 
またすぐに巻込みを再開するといった毎日だった。
 
 大きなプレス機(30トン:ギヤ掛3号)を導入する際は、現場に入れるため、工場の入り口を一度壊して搬入。
 
竹井工務所で設置工事をしてもらうと、新しい仕事を始めた。
 
 その頃からは、全加工品を出来る限り増やすことを目標として仕事を取り込んでいくようになった。
 
直線機で線材を3~4メートルほど直線加工し、定尺カットする。それをプレスにて曲げ絞り加工する。
 
更に後加工の両端曲げは内職屋さんに出した。回収したものを日発へ持ち込んでソルトテンパーを行い、
 
最後に両端をプレスで切断。これで、ようやくこのばねの完成となる。
 
当時の松下冷機の仕事だった。(冷蔵庫の部品)
 
 まもなく、それとは別の冷蔵庫の部品が立ち上った。材質はステンレスで、仕上がりまでにバレル研磨まであり、
 
これまた外注(信濃精密)で表面を酸洗い。
 
仕上げバレルは日発で行う工程があり、最終で全検(全数検査)して完成となる仕事であった。
 
この品は数量は多くあったが、単価が安く苦労した。
 
 最初のリレークランプ品はソルトテンパーへ、(当時は、日発にも電気炉があまりなかった)
 
ジャブ漬けして、すぐに水に浸すが、その際にバチバチと白いソルトが飛び散って
 
顔や手に飛んでくる、くっついてくる。とにかく大変だった。特に夏は。(薄着のため)
 
私の手にはその時のやけど痕が、今でも黒い斑点となって残っている。
 
 何から何まで初物づくし、ものづくりの現場では全てが試行錯誤の連続で、
 
朝から晩までどうしたら安定した製品作りが出来るのか、創意工夫の事で、頭の中はいっぱいだった。
 
 こういう現場、技法を積み重ねることで、少しずつ成果が目に見えるようになってきて、
 
日々、知らず知らずのうちに『挑戦する本能』が鍛えられていった気がする。
 
こうしてキャリアを積み、習得することが自分の自信につながり、
 
自然な形で努力することに目覚めていったと思う。
 
良い結果を出すまでに、一体どれくらいの事が考えられるのか。
 
とことん考え、研究し試してみることが、いかに大切か、身を持って感じる連続であり、
 
いつの日か努力することが楽しめるようになっている自分がいた。
 
 ものづくりというのは、当たり前であるが、やり通した後のうまく出来たという満足感、達成感は
 
それまでの苦労を忘れさせるほどであり、お金に代えられない喜びとなることを知ったのだ。
 
 

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