小木曽のバネブログ

進化はしないが、変化はできる。できる男になってやる。

2009年 11月

アーカイブ: 2009年 11月 の一覧ページです。

アキトの履歴書 31

2009.11.10

カテゴリ : ルーツ/アキトの履歴書

 
(駆け出し 8)
  
 いくらなんでも材料@(単価)の方がウチの売値よりも高いものを作り続ける事は、絶対出来ないので、
 
父に説明をし、その後は注文依頼の品が来る度に単価計算をし、赤字品の場合は受注辞退をさせて頂いた。
 
 それまでの赤字品については仕事を覚えただけが取り柄と思うことにした。
 
これ以後、新規品の導入の際は気を配り、計算してから仕事をすることを頭に入れたのだった。
 
 あの当時の下請け企業はこんな状況であった。利益を出すのは大変で、なぜこんな事になるかと言えば、
 
日発がウチへ加工品を発注する場合の@設定が単純計算、日発売価の5割、6割で行われていたからだ。
 
 例えば日発売価10円の品は、T社へは8円、ウチへは良くても6円、というように。
 
これでは材料代が高い品物は全くの赤になってしまうのも無理はない。
 
 逆にウチがT社の下請けで、数量のある品を6.4円(8円の8割計算)でやる方が良いに決まっている。
 
 しかし、これを6割5分計算にしてもらうのに、ここからまた何年もかかり苦労した。
 
 仕事を覚えると言っても私自身、悔しくて悔しくて、
 
日発の門の前でハタを振ってやろうかと思うほど辛い時代であった。
 
 父はなぜ物を言えないのか、当時は腹のうちが判らなかった。
 
兎にも角にも新しい仕事を取り込む時は、私が見習いに行き、必要な設備を導入して
 
立ち上げるという事がどれだけ困難であったか。
 
 それは私と家族の血と汗の結晶が設備に化けていく時代でもあった。
 
 

アキトの履歴書 30

2009.11.07

カテゴリ : ルーツ/アキトの履歴書

 
(駆け出し 7)
 
 旋盤(せんばん)改良でのパテント巻きの専用機も導入した。
 
メーカーは特巧(とっこう:名古屋)の巻込み専用機で、線径4φまで加工可能である。
 
 当時、日発では長いピッチの先棒をコイルの間に押し込んで数量の少ないロットは巻込みを行っていた。
 
ウチの専用機はギヤを4枚組み合わせて回転数を調節して送り、円盤型のカムで1ヶ毎、座巻きの付いた状態で
 
連続して巻く方式のものであった。
 
 この時、私は初めて、手動の計算尺の使用方法を身につけなければ段取り換えが出来ないため、覚えることとなった。
 
 連続で巻いた品を熱処理後1ヶ毎、目視で切断する事も覚えた。
 
フートプレスはお手のものであったが太いものはプレスで、それも目見当で切るのは少し集中力を要した。
 
 上刃と下刃をバネの線径の中央に正確に当てないとキズやミスとなり困る事になる。
 
1ヶずつバランス良くカットした後は全数丈見(たけみ)をし揃えて、日発へ出荷する。
 
B2(熱処理)⇒研摩⇒完成の工程であった。
 
 私は仕事を覚えるのに夢中で、単価の事は全く気にもしていなかった。
 
それから一年ほど経ち、自分の仕事がどのくらいになるのか(金額が)気になったので私なりに計算してみた。
 
全てではなかったがウチの売価が図面や伝票に書いてあり、計算はすぐに出来た。
 
材料は有償支給だったので倉庫に問い合わせ、図面に示された単重で1ヶあたりの材料代を算出した。
 
差し引きした分が私の仕事で作った品物の付加価値(粗利)であるはずだ。
 
 受注品の粗利単価を個別に出してみたところ、何と、半分以上が材料代を売値から差し引くと、
 
ゼロ、もしくはマイナスになってしまう。
 
逆ザヤ!
 
私は愕然とした。
 
これでは何のために働いているのか判らない。親会社もひどいことをするものだと憤った。