進化はしないが、変化はできる。できる男になってやる。
コンニチハ。ありがとう。
2015.07.17
カテゴリ : 日記
ようこそ。
NEW オギソのばね 公式ブログです。
googleカレンダー 起動せよ!
2015.04.18
カテゴリ : 問い合わせ/カレンダー
お世話になります。
ようやくGoogleカレンダーの使い方(といっても予定の入力だけの話ですが)
が判り、弊社のHPに表示されている営業日カレンダーの
設定を入力し終えました。
GWも間近に迫っています。
今後もよろしくお願いします。
アキトの履歴書 57‐2
2014.08.29
カテゴリ : ルーツ/アキトの履歴書
(祇園祭:一世一代の男の花道へ)
そんな折、突然に町3区の滝沢千成爺が練習場に顔を出し、“バカ踊り”と“ヒョットコ踊り”の指導をして下さった。
流石、昔取った杵柄だけあって、その所作は実に見事。とても印象に残った。
帰り囃しの時に披露するのが恒例だった。
亀屋の壮ちゃがヒョットコ、川手さんが少し太めだったのでオカメの役となり、その後も一時代を担った。
山車だけが今年も昔のものはないので、木社のトラックを例年通り借りる段取りをし、
電気配線、バッテリー・マイク他は酒井電器か加藤電器にお願いした。
お囃しは順調に仕上がってきたが、次に踊りを3曲覚えねばならない。
今度は公民館へ移動して山浦先生の指導の下、男女混合でこれまた男子にとっては恥ずかしながらも踊りを習った。
境内の石段の高いところの両側に飾る屋根を、何十枚と障子紙を張り替え、青色と赤色の市松模様に仕上げることも
大切な前段取りのひとつであった。睦友会という強い結束を誇る良き仲間関係もすでに出来ており、
私自身もリーダーとして祭りを担うことへの自信をつけていった。
準備が進み、祭りまであと1週間となったころ、練習を少し早く切り上げて中間の御苦労会(慰労)は、
会員皆が一心同体となった感があり、大いに盛り上がった。
ただ、会長の私は唯一心配があり、夜もおちおち眠れない。それは、
“当日雨が降ったらどうしよう、今までの苦労が全て水の泡になってしまう”
だった。心配で心配で日が迫るにつれ一人悩んでいた。
祇園祭、7月14日という日は宮田村、この伊那谷の梅雨明けとちょうど重なる頃なのだ。
しかし、お天気ばかりは天に祈るより他はない。
実際のところ、祭りの練習中は毎年よく雨が降っていたから余計に心配で、今年も案の定、前日まで雨は残っていた。
神輿は雨に関係なく行えるし、祭り自体は中止にはならない。しかし、山車が雨で出せなかったら、そのご祝儀が入らない。
山車には、人形師として高遠の専門家を頼んであり、
その方々への謝礼代、ひき子らに用意する花笠の代金支払いだけが残ってしまう。
それは、私にとって大きな悩みの種だった。
アキトの履歴書 57
2014.08.28
カテゴリ : ルーツ/アキトの履歴書
(青年期:一世一代の男の花道へ)
町青年会で幹部仲間に、
『今年の祇園祭は山車にひき子を付けて盛大に行う。また、小学校も今年から午後を休みとして頂ける、
伝統の祭りに協力をしてもらえる。』
との話をして皆で結束を図り、やりがいのある祇園祭にしようとまとまった。
それから小学校は14日が半日あがりになるので、保育園も同じように半日で休園として頂くよう事情を話したところ、
すでに小学校が半日と決まっていたため、右に倣えで、早速半日あがりと決まった。
これで稚児も含めた形で山車と囃し連と親子連れの保育園児、小学校低学年の子供の参加が可能になり、
私はとても忙しく、段取りを次々としていった。
まず、祭り当日ひき子が取り付く長い縄が必要だったので、営林署に借りに行った。
次にカラキヤ商店(仲町にある下駄屋さん)へ行き、
『今年からは、青年会員だけでなくひき子を復活させることにしたので、去年の4~5倍の数の花笠が必要となる。
ついては、今から急ぎ手配をかけて欲しいのでよろしく頼む。』
と、店の主人はびっくりしたが、それは嬉しい悲鳴であった。女性会員には、男子がお囃子の練習をしている間に
花笠に付ける花(ピンク色の薄紙でできたもの)を子供らの分まで作ってもらったりと皆が忙しく準備に追われた。
2週間は集中してピーヒャラ、ドンドンと境内にある消防の夜警所で真剣に練習に明け暮れた。
横笛は個人個人に渡しておき、暇さえあれば練習したものだ。
先輩である加藤さん、川手さん、小田切さん、他の何人かも来て指導してくれた。
アキトの履歴書 56
2014.08.27
カテゴリ : ルーツ/アキトの履歴書
(青年期:男の花道と運命の出来事)
町青年会の例年の行事である新入会員の勧誘に行った。
町3区の中村さんというお宅に行けば、青年会に入ってもらえそうな人がいるとの事だった。
ほどなく中村と書かれた表札を見つけ、氏名が並んだ中に“美千子”とあったので、玄関に入り
「美千子さんを呼んで下さい。」
と“本人”に出てきてもらい、
「青年会に是非とも入って頂きたいのですが。」
と告げたが、どうにも変な顔をしている。
そして、
『私じゃない、姉さんだと思います。』
と言う。実は、該当する本人と思い込んで説得していたのは、妹の美千子さん。まだ学生。
とんだ赤っ恥である。
また、偶然にもこの中村家は、
以前おまじないをお願いした“偉いお爺さん”(福太郎翁)のお宅であったと後日知った。
《注:私が中学生の頃のテンプラ鍋爆発事故(=私がドーナツを作って食べようとした際、
鍋の中の加熱した油が飛び散り、私の妹の顔が大火傷で大変なことになった事件)で
火傷の傷痕が残らないようにと、おまじないをお願いした》
私の妹は、今はきれいにスッキリ完治しており、返す返す、思い出すたび良かったと感謝している。
それから、“中村よう子”さんが町青年会に入会してくれたのだが、
まさかこのよう子さんと、後に結婚することになろうとは、この時点では想像もしていなかった。
私は春から青年会長になったばかりで、祭りの大役も果たさなくてはならず、父には
「今年は祇園祭の主役もこなすので、夜の仕事は全て出来ない。青年会行事のある時は、そちらを何よりも優先する。
また、若干お金も余分に欲しい。」
と話していたし、とにかく祭りを成功させる事だけを考え、どうしようかとそれきりで頭がいっぱいだった。
そして、
“どうせ私にとっても一回限りの会長職。自分の考えられる限りの盛大な祭りにしたい”と頭を張り巡らし、
“そうだ、自分が子供の頃見た祇園祭に少しでも近づけたい。
三六災害時から何故屋台(山車)のひき子を取り止めてしまっているのか、
なぜ今は祭りが一日だけとなっているのか”と考えた。
私でできることがあれば挑戦する気で進めてみよう。今年は何とかして祇園囃子に子供の参加をお願いして、
ひき子行列をプラスできないかと思案した。(子供の)参加が可能となれば、久しぶりの本来の祭り復活につながり、
皆が賑やかで喜ばしいことになると思ったのだ。
早速、私は小学校を訪問し、校長先生に
「何とか(祭りの日の)7月14日を半日に、学校を午後休みにして頂けないでしょうか。」
と頼み込んだ。
突然の訪問で私がその話を切り出したのだが、校長先生は、
『話は解りましたが、今この場で私の一存では決められない。県の教育委員会にお伺いをしてみますので、
1週間ほど結果が出るまで待って欲しい。』
とおっしゃって下さった。
ちょうど1週間後に連絡があり小学校に行くと、校長先生は開口一番、
『小木曽さん、許可が下りましたので祇園祭の14日は半日とします。但し、万一事故等トラブルが発生した場合は、
来年からは許可が出なくなりますよ。』
と教えてくれた。
「判りました。無事立派な祭り行事にいたします。本当にありがとうございました。」
と返答し、その足で、すぐに氏子総代会長(花井家具の初代社長)のところへ行って報告した。
「そうか。賑やかにして頂ければ私共の面子(メンツ)も立つし有難いことだ。
予算は余分にかかるとは思うが、そちらは任せろ。」
とのお話を頂いて、私は本当に“やった!”と思った。
※祇園囃子(ぎおんばやし)
神輿は町内を練り歩く。その前に行程を清める意味で、囃し連が先に練り歩くもので山車(だし、屋台)と呼ぶ。
屋台を杉の小枝で賑やかにし、2階の先頭部分に、毎年、年代物の人形を飾り付け、
稚児のひき子行列をなした一大行事である。
昔は7月14日、15日の2日間に渡り、行われていた。