小木曽のバネブログ

進化はしないが、変化はできる。できる男になってやる。

アキトの履歴書 62

2016.10.28

カテゴリ : ルーツ/アキトの履歴書

 
(姫宮神社祭典の裏話)
 
 実は、姫宮様の祭典当日には最大のチョンボと誤算があった。あれから50年近く過ぎた今ならもう時効だろう。
 
誤算は、祭典当日の午後から本降りになってきた雨のため、境内での余興が全く出来ない状況になったこと。
 
朝から皆で舞台の飾り付け等をし、すっかり準備が整っていたが、
 
少しの観客で傘をさしての立ち見では、せっかくの段取りも余興の練習もしたのにガックリだ。
 
そのショックは大変なものだった。弱り目に祟り目とはこういう状況を言うのかと天気を恨めしく思った。
 
 雨天にかかわらず神事は行なわれるので、氏子衆(町、南割、新田、太田切)は神殿に集って、
 
神主とともに祝詞(のりと)を行なっていた。困っていたのは、私たち青年会の方だった。
 
私は腹をくくって
 
「今夜の余興は中止とする。余興のみ、1週間後に改めて小学校の体育館に場所を移して挙行する」ことに決めた。
 
すぐに各関係先の方々にその旨を連絡し、有線放送でも何回かその旨を流して頂いた。
 
その日は雨で片付けも出来ず、しかし、多少の残念会くらいはしようと、私は一旦家に帰った。
 
チョンボは、正にこの夜発生していた。
 
 あくる日、姫宮様のお宮に行き、片付けをしているとそこに、『責任者はいますか』と言ってきた人がいた。
 
私は「何でしょう。私が会長のオギソですが」と言うと、
 
彼は『夕べ、社務所に泥棒が入ったが、ドジで、名前を書いた自分の長靴を置いて、
 
間違えて他人の長靴を履いて行ったようだ』と言う。
 
 つまり、その置き忘れた長靴の名前の者が犯人(泥棒)であるので善処しろ。との事だった。
 
証拠の長靴まで差し出されては、こちらとしては何も言い返すことが出来ない。
 
 直ぐ、名前の主(K君)に問い質したところ、
 
“昨夜は演舞場に泊まり何人かで酒を飲んだ。夜中に社務所を覗いたところ、氏子衆の御馳走の残し物があり、
 
それを拝借して食べてしまった。”との話だった。
 
 私は気まずい思いをしている彼に、
 
「素直に考えろ。あさひやで菓子折りを買って、それを持って直ぐに謝ってこい」と送り出し、
 
この事件は一件落着となったが、若さゆえでは済まされなかった話だった。
 
 その後、小学校に行って1週間後の夜に体育館を借りる話などして段取りに飛び回った。
 
1週間延ばした余興の本番に向け、その緊張感を維持すると同時に、何としても成功させねばと心配した。
 
何かやり残したことはないかと考え、氏子総代さんより頂いた特別寄付帳の見直しをすると、
 
大所は寄付を頂き済んでいたが、小さな商店やらでまだ廻っていない所があり、
 
今回、新規で立ち上げた余興の少しでも足しになればと数か所を廻った。
 
おかげさまで資金の上乗せが出来、これで万全の体制が整った。
 
 前回にも書いたが、運悪く雨で1週間延期し、あらためた日程では雨に左右されないようにと体育館を借り、
 
客席用にゴザを敷き、準備万端で迎えた余興は、地域住民の拍手喝采を浴び、氏子衆にも大変喜んで頂けた。
 
 しかし、余りの人気で体育館が超満員、観客が入りきれず後方の立ち見の人達は、
 
やむなく、土足のまま観劇をしていたようだ。
 
私はこの事に気付かず、片付けと清掃が済んだ後、校長先生のところへお礼の挨拶に行った時に、初めて知らされた。
 
 この時も平身低頭、お礼と同時に謝ったことを記憶している。
 
 

レアもの

2016.10.20

カテゴリ : 閑話休題

 秋になり人気は下降したが、現在もポケモンGOが人気ゲームであることに変わりはない。らしい。
 
・・・・・
 
 この夏のピーク時には米国人の10人に1人がポケモンGOで遊んでいた。
 
任天堂のキャラクターを現実世界で捕獲するポケモンGOは、配信1週間で史上最もダウンロードされたアプリになり、
 
ナイアンティック社にはゲーム史上最速で5億ドル(約517億円)の売上がもたらされた。
 
サクセスストーリーが広まるにつれ、フォーブスも含め多くのメディアが「いかにこのトレンドで利益をあげるか」
  
という記事を掲載した。
 
 ボーイング社に13年勤務し、現在は調査企業Womplyでアナリストを務めるジェイソン・シューも、
  
そんな成功談を興奮気味に読んでいた一人だ。創業5年のWomplyはサンフランシスコに本拠を置き、
 
クレジットカードの履歴から200万軒以上の商店の売上データを解析している。
 
 シューはポケモンGOがいかに売上に貢献したかをデータで示そうとしたが、残念ながら有意なデータは見つからなかった
 
「統計学的な見地から見ると、メディアで言われるような効果は確認できず、落胆しました」
 
 シューはまたポケモンGOのような流行から、商店らがどれほどの成果を獲得できるかは予測が難しいと指摘する。
 
「我々は前向きな数値が出ることを期待していましたが、
 
様々な指標から検討した結果、効果は無いという結論に達しました」とシューは言う。
 
・・・・・(by フォーブス ジャパン)
 
 シューに言われるまでもなく、ポケモンGOは何もメリットがない、ウチのような製造業。
 
小木曽精工株式会社には。
 
と思っていたら、逆にデメリットはあるんだな、これが。
 
 今夏よりウチの会社の周辺に、路上駐車する車が急増!それも、業務用車両でなく明らかに自家用車でしょ。
 
という車。車。車。それも意外な頻度とタイミングで。
 
 ウチの会社に横付けして、何やらスマホを操作している様子。おいおい、ここはポケモンの出現・捕獲場所かよ!
 
ポケモンGO?いやポケモンNOだ!
 
だからといって、ウチの会社にレアポケモンを探しに来るのはやめようね。
 
 特に運転しながらは絶対ダメ。喝っ!!だ!
 

風に吹かれて Blowin’ in the wind

2016.10.14

カテゴリ : マイブーム/おたく

The answer, my friend, is blowin’ in the wind
 
The answer is blowin’ in the wind (by ボブ・ディラン)
 
・・・・・
 
ボブ・ディランがノーベル賞かぁ~似合わないなぁ…
 
この不思議な「違和感」どーしてくれるンじゃい!
 
(笑)
 
by 泉谷しげる
 
・・・・・
 
ねえ。自分だけじゃなかった。この違和感。
 
 

一枚噛む

2016.10.09

カテゴリ : コラム

 
その、
 
白紙の領収書。
 
俺にもくれよ。
 
いちまい、にまい、さんまいケル ♪
 

 

アキトの履歴書 61

2016.09.16

カテゴリ : ルーツ/アキトの履歴書

 
(姫宮神社の祭典復活)
 
 快晴の下、久しぶりの引き子復活での祭りであったので、耕地の方々、商店の方々からのご祝儀も思いのほか集まり、
 
男子会員は慰労会のたびに派手に飲み食いするが、女子会員はそんなにお酒を飲むわけない。
 
祭り支度ばかり、ご苦労をかけっぱなしであったので、特別に浴衣の生地を贈呈した。
 
負担をかけて申し訳ないが、本人もしくは親御さんに、一人一人の背丈に合うよう裁縫をして頂くようお願いした。
 
 結果、女性会員のお揃いの浴衣で踊りを楽しめたのだった。
 
最大の行事(津島神社の祇園祭)も皆の協力で終えることが出来た。
 
 この年は慰労会も楽しく過ごせた。まもなく宮田高原のキャンプ場でキャンプファイヤー。
 
手作業で100メートルほど繋いだナイヤガラの花火に火をつけ盛り上がったのも良い思い出だ。
 
(この時は下から歩いて高原まで行った)
 
 そして、この年の秋9月の姫宮様の祭りがちょうど町区の年番(祭りの仕切りの当番)であることを
 
氏子総代の方から教えて頂いたのだが、
 
実のところ、姫宮の祭典は神事のみで余興はもう久しくやっていないとの事だった。
 
 そこで私は、町青年会がまとまっていたこともあって、
 
「姫宮の祭典も復活しましょう」と氏子総代である花井の社長に伝えた。
 
「やってくれるなら皆の顔も立つし、それは喜ばしいこと」だと快諾して下さった。
 
「予算はないが、お金の方は氏子衆で心配するから大いにやって下さい」
 
との返事を頂き、私は余興の全体をどうするか考えた。
 
 そうだ、日発のハワイアンバンドに出演をお願いして、のど自慢大会も兼ねてやろう。
 
そして、青年会員で“踊りと一芝居”等々で盛り上げる。昔懐かしいお祭りにしようと決めた。
 
 その昔、宮田劇場の華やかなりし頃を。とイメージ、
 
父の書棚にあった本の中に洒落た芝居の一幕があったので、それを男性会員でやることに決めた。
 
 早速、宮田劇場に昔、出演していた方で有名な人物、
 
赤木竜太郎(本名:小平守)氏のお宅を訪問し踊りと芝居の指導・稽古をお願いした。
 
 当時、小平さんは南信地区の地祭りの余興の役目を担い、赤木一座としてあちらこちらの祭りに出張していた。
 
舞台に必要なもの、衣装はもちろん大きな緞帳(どんちょう)から内幕まで個人で所有しており、
 
特に頭にかぶる“カツラ”は、ありとあらゆるものを沢山抱えておられた。
 
 芝居の一場面「芸子魂」の公演、芸者役でカツラを付けて一芝居打ったのは
 
私には初めての経験だった。
 
 その時の舞踊は「伊那の勘太郎」「黒田節」等、バラエティに富んだものだった。
 
青年会員のよう子、ミッチャのアベック勘太郎、ハルチャの黒田節も本格的な衣装による初披露であり、
 
地区住民の大絶賛を浴びた。
 
 それら芝居の大道具として、宮田劇場の地下にあるものを、
 
当時のシナノヤ社長(太田さん)にお願いして借用した際、劇場地下の大仕掛けを初めて見た。
 
大きな心棒を人手による動力で転回する、有名な回り舞台の仕組みであったのを覚えている。
 
かつて、宮田村が栄華を誇った名残がそこにあった。
 
 のど自慢大会とバンド演奏は、舞台上に審査委員としてタカノ会長(鷹野忠良氏)と氏子総代さん方に上って頂き、
 
余興は盛大に行われ、大成功と大感激の良き思い出として記憶に残っている。
 
タカノ会長の有名なベサメムーチョは、この時に初披露されたのだった。
 

 
(注:不定期に連載してきました「アキトの履歴書」も、本人死去の為、本章を含め4回分の
 
          遺稿を残すのみとなりました。残りの章は64までとなります。しばし、お付き合い下さい。)